君の膵臓を食べたい②

次は桜良について。

 

本文で全く呼ばれることない桜良は、誰よりも自分の名前を主張してたと思う。なぜか。

 

それは「僕 」に、「志賀くん」にどうおも割れてるかを彼の一言で余計に気にしているからだ。

彼女は最後に

君はわたしを誰のものにもしたくなかったんだろう といった

それは彼が決めたかったから、ではなくて彼女がきめたくなかったから。なのではないか?

 

この小説全編、「僕」で語られるが、本当は彼女の思いも入ってるんではなかろうか。

 

それが明確にかわるのが、名前をいれないでくれといったときであるのだ。

 

日記との差異、もちろんそれはあるのだが、それを含めてプラスマイナスを計算している、作者の策略であろう。

 

名前に触れないでくれ

と言ったとき

この言葉を序盤に出してきたのは著者の策略にまんまとはまっているのだ。

 

わたしもはまったが。

 

名前を出さない表現、もどかしいけども明確に相手を示すことができる表現であり、現にこの小説では、より明確に桜良の気持ちがかかれていく。

 

ではその桜良は、人生をどう思っていたのか考察していきたい。

 

彼女は誰よりも未来をねがった。

彼女は誰よりも明日を信じてた。

 

そんなところではないだろうか。

 

君の膵臓を食べたい①

君の膵臓を食べたい

著者 住野よる

 

あらすじ

 

友達がいない僕が病院で見つけたある一冊の文庫本。

「共病文庫」

これは日記のようなものだった。これによると著者は膵臓を病み、余命が短いらしい。

読んではいけないと思い、本を閉じたところに声をかけてきた、その著者は名前は知っていたクラスメートだった。

家族以外には病のことを話していない彼女が僕に「共病文庫」は自分のものであり真実だと告げる。

 

そこから彼女に半ば強引につれ回され、彼女の残りの時間を一緒に過ごしていく。

他人には興味を持たない僕が唯一興味をもち、知ろうとすればどんどんと正反対のところにいると知る。

彼女のようになりたいと願い、彼女のことをもっと知りたいと思うほど、彼女の残りの命のことを考える。それでもまだ、一緒にいれると、まだ別れはこないと、僕は信じていた。

 

 

 

雑談 (ネタバレます)

この本は職場の先輩に薦められて読んだ本。

本屋大賞を心底信用していないわたしは正直全く期待していなかった。

 

がしかし、面白かった。

 

くそみたいな恋愛小説だろうなって思ってたが、わりと伏線たっぷりの軽いミステリー要素を含んだ作品だった。

 

本は一人称の「僕」で話が進み、語りと会話で成り立っている。

 

 

特徴としては漢字の使い方だろうか。

かの(あの、あれ)を 彼の とかいたり。

 

まず、「僕」は彼女(以下 桜良)が死ぬまで記載されない。それは「僕」が名前を呼ばれるとき、他人にどう思われているかを想像するのが好きだ、というところからだ。

他人が呼ぶ「僕」の名前はすべて「僕」の印象に基づいているもので、だから桜良の行動が不思議に見えることがあるんだろう。

それは「僕」が桜良が呼んでいる気持ちと反しているときに起こり、大抵このときに物語が動く。

ちなみにわたしは名字か名前に村上春樹が入ってると予想したが当たっていた。

てか最近の女子高生で志賀直哉なんて思い付く人いるの?どっちとかならなくない?

 

ここまでが作中の「僕」の名前のはなし

 

こりゃ長くなるな